関勝仁先生の御退職

331日付で当科助教の関勝仁先生が大学病院を退職されるにあたり、321日には送別会が開催されました。一堂に会することが許されない時間が続いていましたが、新型コロナ感染症の蔓延から早3年が過ぎた今、今回は大学におけるルールの緩和もあって(感染予防を徹底したうえで)盛大な送別会が実現しました(本会からのコロナ感染症は1名も発生していません)。会場に選んだのは、200412月に関先生が旧第二内科に入局することを宣言した場所である秋田温泉さとみです。往年の同僚らも駆け付け、共に昔を懐かしみながら、楽しい時間を過ごすことができたことと思います。

 

 「私と関先生」のテーマで参加者全員から送別のことばをお送りしましたが、関先生にまつわるエピソードは誰しもが事欠かず、笑いあり涙ありで予定時間を大きく超過して溢れんばかりの感謝を伝えました。そして、医局からの記念品として、思い出ムービーと花束、仲間の証である揃いのスクラブに寄せ書きをしてお贈りしました。

 

少年のように元気だった若手時代、チームリーダーを担うようになった中堅時代、そして今の医局のかたちを創り、史上最長任期の医局長へと成長していく様子は、第二内科の歴史に刻まれたドラマだと思います。その気苦労は察するに余りありますが、「愛する後輩のため」と思って乗り切ってきたという言葉が印象的でした。

 

送別会を通じて再確認し得たことは一言で、「絶大な人望」です。緊急時の抜群の瞬発力や責任感、思いやりといった医師として人間として敬われるべき部分は、業績欄に載ることも無ければ退院総括に記載されることもありません。ですが、みんなの記憶には鮮明に残り続けると思います。自己犠牲や利他の精神と表現されるスタンスを貫いてきた関勝仁医師は、科内の医師のみならず他科の医師含め院内のスタッフに親しまれ、愛されてきました。勤務最終日の331日、デスク3つ分のスペースにおさまらずにあふれかえった送別の品がそれを表していて、それこそが「業績」であり、人々を惹きつけてきた証だと思います。

 

関先生のご退職は本当に寂しいです。

たくさんの恩を関先生自身に返すことはもう叶わないと思えばこそ、その感謝は関先生が愛した後輩達へ返すことで恩返しにしたいと思っています。長きにわたり、本当にありがとうございました。新天地でのご活躍をお祈り申し上げます。

 

以下、関先生からのコメントです。

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2004(平成16)、スーパーローテーションが始まった年に、その一期生として私は秋田大学医学部附属病院で臨床研修医になりました。それまで卒業、即入局という流れが一般的であったものから、2年間の臨床研修が義務付けられたため、期待に胸を膨らませる研修医側と入局の確証がない研修医をどのように扱うか困惑する各医局側の間にはかなりの温度差がありました。その中で、当時講師であった現教授の渡邊博之先生は「未来の秋田県医療のためには多くの循環器科医を確保することが最優先だ」という信念を持ち、勧誘活動を行っていました。昼は仕事、夜は勧誘の先陣に立ち、多くの医局が入局難に喘ぐ中で当時の第二内科は多数の入局者を得ました。その信念は教授就任から5年が経過した今でも変わらず、入局者が絶えません。入局を宣言してから20年目の春に、この愛すべき大学医局を離れるにあたって、働き方改革が叫ばれる現代で自己犠牲を厭わない熱い魂を持った後輩たちが秋田全県内で知識や技術を日々高めながら成長していく姿を一番近いところで見続けることができたのは本当に幸せであったと心から思います。

渡邊教授をはじめ、僕を育ててくれた先輩方、逞しくなった後輩の皆さん、お世話になった秘書さん方、心に残る会をありがとうございました。

送別会を開催して頂いた会場は、当時泥酔しながら「入局しま〜す」と言ったあとから記憶がなく、朝に気が付くと宿泊した部屋が散々に散らかり、鬼の形相をしていた同期研修医の顔が今でも目に焼き付いています。人生で二度と利用することは許されないだろうな、と考えていた思い出の場所に席を設けてくれた輝紀先生、和奏先生にはご配慮頂き、ありがとうございました。

秋田大学大学院医学系研究科循環器内科学分野の皆さまの未来が輝き続けますように!

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文:佐藤輝紀